嫌なことは考えない
元職場の上司と飲み.
後輩のY君が,
「『ボクの今の彼女はK本さん(私のことだ)の昔好きだった人なんですけどね.やっぱ気を使いますわ.まあ,K本さんはもう未練もなにもないみたいですけどね!』といいながら彼女の写真を職場の人に回覧する」
という行為をしているという話を聞いた.
「私の未練の量を,お前が判断するなぁ!」
と憤りそうになったが,Y君にしてみればそうとでも思わないとやってられないのだろうと思い,許してやることにした.
「栗むいちゃいました」という商品があった.(今もあるかどうかは知らない)
殻をむいた焼き栗が袋にたくさん詰まっている商品で,食いやすくて非常によろしかった.
この栗の殻剥きは,中国の農村部から出てきた出稼ぎ労働者によっておこなわれている.*1
しかし,「栗むいちゃいました」を食う際,栗の殻をむいている労働者の貧しさについて普通は考えない.
「嗚呼,栗うまいな」と思うだけだ.考えすぎると,うまいものもまずくなる.
「栗むいちゃいました」を食って「嗚呼,栗うまいな」とうまさに浸る.
Y君のしていることはつまりそういうことなのだ.
うまさに浸っている人に対して「いやいや,その栗の殻を剥いた人はね・・・」というのは,正しいかどうかは別にして無粋やよな.