涼やかさの無いヘンタイさん

某友人にヘンタイさんブログを教えてもらう.
ブログの内容は
「購入した等身大ダッチワイフ(『ラブドール』という商品名だそうな)に色々なお洋服を着せて楽しむ」
というもの.


「今日はアオザイを着てもらいましたよ!ムッハー!!」
などと,非常に楽しそうで好感が持てるヘンタイさんブログであった.
しかし,そのヘンタイさんは彼女ができた(その彼女はブログのファンであるそうな)のを最後にブログをやめてしまうのである.
締めの言葉には
「現実の女の子に受け入れてもらえて非常に幸せです.『人形を愛でる』というのは自己満足の世界であるというのが良くわかりました」
という内容の話が書いてあった.


私はこの一文を読んで,不快な気分になった.


私はヘンタイさんの話を見たり聞いたりするのが好きである.
理由はいろいろあるが,一番の理由は私はヘンタイさんに一種の『涼やかさ』を感じるからである.
ヘンタイさんには(傍からはどう見えるかは別として)自分のやっている行動に全く後ろ暗さがない.
何故後ろ暗さがないかというと,一本筋の通ったヘンタイさんは自分のヘンタイさ加減を知り抜いた上で,「普通の人と違うけど,しゃあないし」と開き直った(『悟り』といっても良い)上でヘンタイ行動をとっているのである.
この開き直りの部分に,私は非常に涼やかさを感じるのだ.


「人形を愛でるということは,結局は自己満足の世界である」
そんなものは百億年前からわかっている話である.
「現実の女の子の代用としての人形との蜜月を公開」
これでは単なる露悪趣味だ.
そこにはヘンタイさんの『涼やかさ』はない.


嗚呼,不快なブログを読んでしまった.