おしゃれマンに対する私の評価

11日の「前代未聞のおしゃれマン」に対して
「TKを着ている時点でオサレとはいわないのでは?」
というコメントをいただいた.


「TKはどうかと思う」とは私も思う.具体的にいうと,私はTKを着ようと思わない.
しかし,それでも私はおしゃれマンを評価したいと思う.


私が感動するのは人の行動に強い意思を感じた時である.
意思の種類はあまり重要ではない.意思のスカラー量が私の感動の琴線に触れるのである.
おしゃれマンの
「ヒップラインを整えるためにズボン毎にビキニパンツを変える」
という行動に,強い意志というか業というかそういうものを感じた.
結果(この場合,「おしゃれ==TKと思った」ことに端を発しているのであろう)はともかく,そのスカラー量は評価したい.